- 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日多くの皆さんが集った偲ぶ会に参加した。新津さんへの思いを、あらためて手紙にしたためてみた。
- (株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫
今年の春の桜は、今、大災害のあった東北地方を北上しています。しかし、美しく咲き誇る桜の花の下では、私の乏しい想像力では慮ることのできないほどに大きな慟哭が溢れています。人の悲しみを、誰よりも大きな心で受け止めておられた新津さんのことですから、ご存命であったなら、どんなにかお心を痛められることでしょう。
4月24日、新津さんからいただいたたくさんのご恩を忘れられない皆さんが小諸に集い、奥様を囲んで、心温まる時間を過ごしました。会場となった懐古園近くの料理屋さんは、150年前の古い商家を移築した落ち着いた佇まいで、新津さんを偲ぶには、なによりの会場です。
私の上司から新津さんを紹介されてから、今年で8年になります。そして、誠に無念ですが、新津さんが亡くなられてから、6年ですね。そうなんですね、私が新津さんと出会ってから、わずか2年の歳月だったのです。それにしては、あまりにたくさんの教えをいただきましたので、私の中では、とても長い歳月のように思えてなりません。
実は、小学校の初めての先生のお名前が「新津先生」なのです。たくさんの恩師に導かれて今日まで歩むことができましたが、2人の「新津先生」の存在は、60年の歳月のなかでもとても大きな存在といえます。小学校の恩師は、気の小さな私を優しく導いてくれました。後年母がよく、「とてもいい先生だった」といっていたことを憶えています。
最初の講師デビューは、新津さんが所長をされていたハローワーク上田主催で、50人もの皆さんの前で「コンピテンシー」の話をしたことでした。2月の、まだ寒い季節でしたが、私一人冷や汗をかきながら、何とか話し終えることができました。新津さんは、出来映えを気にする私に歩み寄り、「とても、良い話しだった」と、優しく何度も頷いてくれましたね。
今では、大学やハローワークで、当たり前のように「先生」などとよばれてはいますが、初めて褒めていただいた新津さんのお顔を思い出すと、いつになっても、あの時の自分自身の居心地の悪さから、なかなか放れることができません。「もっと、自信を持ちなさい」という、二人の「新津先生」の声が、今でも聴こえてきそうです。
先日のご法事で、私にとってはもう一人の「先生」にあたる方から、詩人でもあった新津さんの作品を朗読するようにいわれ、少しお酒も入っていたこともあり、気が少し大きくなり、仰せに従いました。そちらで、私の拙い朗読ぶりに、苦笑されていたのではないでしょうか?
朗読させていただいた作品は、「国は花を買わない」(「岬にゆく」1984年発行より)です。少し長かったのですが、「岬にゆく」の中でも好きな作品の一つで、新津さんの思想と抒情がとてもよく現れていると思っていましたので、選びました。とくに、最後の「人間は~(略)~開花を待ちこがれる〈花の人〉であった」というフレーズがとても好きです。奥様のお話では、新津さんは、とても花が好きだったとのことですので、新津さんご自身が「花の人」だったのですね。
何か、だらだらと書き続けてしまいました。3月11日以降、これほどの困難に見舞われた日本の国や、人間としての生き方について、新津さんのお考えをお聞きしたいところですが、それもままなりません。その代わり、新津さんが書かれた詩集をいつも手元において、愛読していきたいと思っています。きっと、私自身に残されたこれからの半生について、たくさんの指針をいただけるはずですから。
追伸
先日のご法事の際、奥様に矢沢永吉の最新のアルバムをお預けしました。私が一番すきなバラード「古いカレンダー」を、奥様も気に入っていただけるといいのですが…
平成23年5月15日