home  → キャリアの隠れ家  → 第39回  私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日多くの皆さんが集った偲ぶ会に参加した。
      新津さんへの思いを、あらためて手紙にしたためてみた。


キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日多くの皆さんが集った偲ぶ会に参加した。新津さんへの思いを、あらためて手紙にしたためてみた。
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫


  今年の春の桜は、今、大災害のあった東北地方を北上しています。しかし、美しく咲き誇る桜の花の下では、私の乏しい想像力では慮ることのできないほどに大きな慟哭が溢れています。人の悲しみを、誰よりも大きな心で受け止めておられた新津さんのことですから、ご存命であったなら、どんなにかお心を痛められることでしょう。

  4月24日、新津さんからいただいたたくさんのご恩を忘れられない皆さんが小諸に集い、奥様を囲んで、心温まる時間を過ごしました。会場となった懐古園近くの料理屋さんは、150年前の古い商家を移築した落ち着いた佇まいで、新津さんを偲ぶには、なによりの会場です。

   私の上司から新津さんを紹介されてから、今年で8年になります。そして、誠に無念ですが、新津さんが亡くなられてから、6年ですね。そうなんですね、私が新津さんと出会ってから、わずか2年の歳月だったのです。それにしては、あまりにたくさんの教えをいただきましたので、私の中では、とても長い歳月のように思えてなりません。

  実は、小学校の初めての先生のお名前が「新津先生」なのです。たくさんの恩師に導かれて今日まで歩むことができましたが、2人の「新津先生」の存在は、60年の歳月のなかでもとても大きな存在といえます。小学校の恩師は、気の小さな私を優しく導いてくれました。後年母がよく、「とてもいい先生だった」といっていたことを憶えています。

  最初の講師デビューは、新津さんが所長をされていたハローワーク上田主催で、50人もの皆さんの前で「コンピテンシー」の話をしたことでした。2月の、まだ寒い季節でしたが、私一人冷や汗をかきながら、何とか話し終えることができました。新津さんは、出来映えを気にする私に歩み寄り、「とても、良い話しだった」と、優しく何度も頷いてくれましたね。

  今では、大学やハローワークで、当たり前のように「先生」などとよばれてはいますが、初めて褒めていただいた新津さんのお顔を思い出すと、いつになっても、あの時の自分自身の居心地の悪さから、なかなか放れることができません。「もっと、自信を持ちなさい」という、二人の「新津先生」の声が、今でも聴こえてきそうです。

  先日のご法事で、私にとってはもう一人の「先生」にあたる方から、詩人でもあった新津さんの作品を朗読するようにいわれ、少しお酒も入っていたこともあり、気が少し大きくなり、仰せに従いました。そちらで、私の拙い朗読ぶりに、苦笑されていたのではないでしょうか?

  朗読させていただいた作品は、「国は花を買わない」(「岬にゆく」1984年発行より)です。少し長かったのですが、「岬にゆく」の中でも好きな作品の一つで、新津さんの思想と抒情がとてもよく現れていると思っていましたので、選びました。とくに、最後の「人間は~(略)~開花を待ちこがれる〈花の人〉であった」というフレーズがとても好きです。奥様のお話では、新津さんは、とても花が好きだったとのことですので、新津さんご自身が「花の人」だったのですね。

  何か、だらだらと書き続けてしまいました。3月11日以降、これほどの困難に見舞われた日本の国や、人間としての生き方について、新津さんのお考えをお聞きしたいところですが、それもままなりません。その代わり、新津さんが書かれた詩集をいつも手元において、愛読していきたいと思っています。きっと、私自身に残されたこれからの半生について、たくさんの指針をいただけるはずですから。


  追伸 先日のご法事の際、奥様に矢沢永吉の最新のアルバムをお預けしました。私が一番すきなバラード「古いカレンダー」を、奥様も気に入っていただけるといいのですが…

平成23年5月15日