キャリアの隠れ家
第9回 須坂市浄運寺
高速道の須坂長野東インターチェンジから、須坂市内へ向けて5分ほども走れば、浄土宗浄運寺となる。戦国時代の豪族井上氏の居城があったという井上という集落の山肌に沿うように、墓地が広がっている。その一角を占める浄運寺の境内は、由緒ある歴史や往時の寺勢が容易に想像できるほどに、堂々とした佇まいだ。浄運寺は、私が大学生のころ夢中になって読みふけった文芸評論家秋山駿ゆかりの寺である。
秋山駿は、私の思春期の一時期、幼い孤独感を共有してくれた唯一の同行者であった。社会人になって、先輩に誘われて、編集者がよく来るという新宿の飲み屋へ行ったとき、偶然に秋山駿が飲んでいた。店の女将に紹介してもらい、わずかな時間話した。「田舎は、長野です」と自己紹介した私に、「そうですか、いいところですね」と返してくれたような記憶しかない。実は、後年わかったのだが、秋山駿の母上のお生まれが、この浄運寺だったのだ。それを知ってから、年に1、2度は、ぶらり訪ねては、その当時を思い出しながら、お寺の境内に張り詰めている清浄な空気感に浸り、伽藍の美しさを楽しんでいる。
今年になって、浄運寺の墓地に、秋山駿の生前墓ができたというので、さっそく訪ねてきた。秋山駿は、今年でもう70歳代後半にもなるのだろうか。無明の間で迷い、揺れ動き続けていた私の青春時代を共に過ごしてくれた秋山駿が、やがてまた、私と同じふるさとに戻ってきてくれる。