キャリアの隠れ家
第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫
サラリーマンのメッカといわれる東京新橋駅から歩いて2、3分、どこにでもあるような雑居ビルの地下に、3年ほど前、NHKの番組で放映され、話題になった居酒屋「有薫」がある。
地方出身者の溜まり場になっている居酒屋は、東京のどこにでもありそうだが、有薫には、全国の高校の「同窓会ノート」が置いてあるのだ。その数約1100高校とか。
番組では、東京で会社経営をしていた客が、同窓会ノートに貼られていた先輩の名刺と、「困ったことあったら、いつでも相談にのるよ」という書き込みをみて、先輩に会いに行くところから始まる。その客は、経営していた会社の状況が思わしくなく悩んでいた当時で、高校の先輩のあたたかい言葉に励まされ、再出発をしていく、といったストーリーだったように思う。
「有薫」に初めて行ったのは、NHKの番組が放映されて、間もないころだった。出張の帰りに、東京の友人を誘って一緒に行った。友人も新潟の出身で、同じ番組をみてから、すでに何回かきていたようだ。お酒が揃うまで待てず、さっそく、自分の出身校のノートを探してみた。もちろん、ノートのない高校もあると聞いていたので、ちょっと不安だったが、見つかった時は、ちょっと、誇らしかった。
ノートには、すでに3、4人ほど、書き込みがあった。いずれも30代から40代で、私は、ずいぶん先輩に当たるので、少し偉そうに、思い出話を書いた。在京の出身者の多い高校では、すでに何冊にもなっていて、定期的に近況報告を書くためにわざわざ訪れる客もいて、いつもにぎわっているそうだ。
一昨年の春、高校の恩師が亡くなった。私たちのクラスは、中途半端な「やんちゃ」が多く、毎年、一人、二人に停学処分が下り、先生は、さぞかし大変だっただろう。新盆でお伺いしたおり、奥様が、「A君が停学中は、ご両親にそのことを言えず、我が家に来て、私と二人きりで、夕方まで時間を過ごしていたのよ。」と、懐かしそうに、話してくれた。そして、「そうそう、松井さんは、本が好きだったと、主人がいつも言っていた」とおっしゃって、先生の書斎から、本を持ってきてくれた。梅原正『梅原正の授業 道徳』(朝日新聞社)と竹下哲『本当の人間になるということ』(光雲社)だった。そのタイトルを見て、涙がでた。
さて、そのA君は、いまでは中小企業とはいえ、油ののりきった経営者だ。新盆のお参りの後、お焼香に行けなかったものも集まって、飲んだ。A君も来た。サラリーマンとは違う存在感が漂う。卒業してもう40数年もたつが、顔をあわせればすぐに、当時の話で盛り上がる。
さて、恩師がこころ砕いて導いてくれた「本当の人間」に、還暦を迎えた教え子たちは、少しは近づいているのだろうか。
平成22年6月