home  → キャリアの隠れ家  → 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツがジャズギターを奏で、恩人の遺稿集に出会えた珠玉の隠れ家だった


キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツがジャズギターを奏で、恩人の遺稿集に出会えた珠玉の隠れ家だった
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫

第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツがジャズギターを奏で、恩人の遺稿集に出会えた珠玉の隠れ家だった
  隠れ家の条件の一つは、わかりにくい場所になければいけない。そんな意味で、「YUSHI CAFE」は、まさに隠れ家の名にふさわしいカフェだ。
  いまは佐久市になってしまった旧望月町の、国道142号線からほんの少し横道に入った場所だけれど、2度、3度と、町内の方にお聞きして、ようやくたどり着いた。
 オーナーのご実家を改造してカフェにしたという、まるで向田邦子の小説に出てきそうな民家に入って、最初に私が目にしたのは、昔懐かしいオーディオ機器だ。アンプとチューナーが並ぶそのブランドは、マランツ。私の世代には、垂涎のブランドだ。オーナーがマニアかと思いお聞きすると、常連のお客様から、借りているものだとか。
 マランツ。私が、35年も前、広告制作会社のコピーライターの駆け出しのころ、マランツは、重要なクライアントの一つで、先輩が、とてもかっこいいコピーを書き続けていた。私も将来、あの人のようなコピーライターになりたい、と目標にし、毎日毎日、深夜まで「修行」をしていた時代…。
ちょうどお昼どきだったので、トーストに卵のトッピングと、ウインナーコーヒーを頼んだ。トーストは、素材から調理まで、作り手の心が口の中に、じっくりと広がるおいしさだ。「母と私で育てた小麦で、妻が焼いています」。誠実そうなオーナーが、さりげなく説明してくれる。
 ゆっくりと食事とコーヒーを楽しみながら、店内にいくつかある書棚を巡ってみた。そこに、思いがけず、私の恩人の一人である新津利通さんの一周忌に出版された追悼集『詩信 夢のようでも』を見つけた。その隣に、茨木のり子の『倚りかからず』(筑摩書房)があった。
マランツがドライブするグルーヴィなジャズギターに包まれ、新津さんの遺稿集や茨木のり子の詩集をめくり、疲れた目を縁側から庭に向けると、遠く20代の、人間関係の息苦しさや自分の能力への不安感に震えていた日々が、思い出されてきた。
 茨木のり子の詩にある「~倚りかかるとしたら それは 椅子の背もたれだけ」、そんな心境に、どうにか近づいてこれたとしたら、それは未熟な私をここまで育て、導いてくれた多くの人たちのおかげなのだと、つくづくと思う。そしてこの今、あわただしい毎日を支えてくれる仕事仲間に感謝する時間を持つこともできた。
 忘れてはいけない大切なことを思い出させてくれる、そんな隠れ家に出会えたことに感謝しよう。



平成22年7月 梅雨明けの休日に