home  → キャリアの隠れ家  → 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も、まことに波長が
      あった。たくさんの未来を重ねて生きていきたいかけがえのない一人だったのだが…。


キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も、まことに波長があった。たくさんの未来を重ねて生きていきたいかけがえのない一人だったのだが…。
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫


  先日、仕事で久しぶりに上田市柳町に行った。5、6年ぶりの柳町は、すっかり景観が整備され、江戸時代にタイムスリップしたような家並みが続く。ちょっと時間があったので、柳町の名店で知られる、ルヴァンと岡崎酒造に立ち寄った。

  ルヴァンは、パン好きには有名なお店で、天然酵母で丁寧なパン作りをしている。値段はちょっと高いが、中世のフランスの農夫たちは、きっと、こんなパンを食べていたのだろうと思わせるような、素朴で滋味あふれる逸品だ。店舗も、隣接する岡崎酒造所有の、200年も経つような古い木造づくりの蔵をそのまま、活用している。

  そのルヴァンの大家さんでもある岡崎酒造の造るお酒には、ある人物を介した、懐かしくそしてとても無念な思い出がある。

  その人の名は、飯島俊夫さんという。彼は、私が東京から郷里にもどり今の会社に入社した30年ほど前、私より、半年後に入社してきて出逢った。「新参者」同士の境遇や、広告関係業界出身ということ、そして何より、本やお酒の趣味が同じだったことがあり、すぐに仲良くなった。もう一人、私より早く入社していた営業マンと飯島さんと私の3人は、どういうわけかとても気の合う友人となり、その後、それぞれ別々の会社で働くようになっても、お付き合いは長く続いた。

  飯島さんは、大学卒業後、東京のPR代理店で働いていた。PR(パブリックリレーション)と広告(アドバタイジング)の違いを教わった人でもある。今、大問題になっている原発について、国も電力会社もその必要性をPR専門会社に依頼して盛んにPRした時代であった。飯島さんから、東京時代は、福島への出張が多かったと聞いたことを覚えている。彼が生きていれば、今の状況をどう思うだろうか。

  同僚としてのお付き合いは、2年ほどで終わり、飯島さんは、松本に本社のあった大手スーパーの販促課長として、転職していった。以来、さすがに飲む機会は、激減したが、それでも、年に2、3回は長野と松本と交互に居酒屋で出逢い、互いの状況報告をし合い、好きな本の話で時間を忘れた。

  飯島さんは、故郷が上田市ということもあり、地元柳町の岡崎酒造の「亀齢」がお気に入りだった。どこで飲んでも、居酒屋に入ると、まず「亀齢」があるかどうか聞いていた。あまり大きな酒造会社ではないので、さすがに上田以外では、置いているお店は少なかったが、たまに店主がありますよ、というと、こぼれるばかりの笑顔で、「それ頂戴」といって喜んでいた。

  平成11年秋、突然、彼の訃報を知った。その2、3年前に、上田で飲んだとき、実は、内臓をこわし、手術をしたと打ち明けてくれた。その後、数回飲んでいたが、お酒は控え気味だった。そして、唐突に亡くなったという知らせを受けたのだった。すでに、お葬式は終わっているということで、上田駅近くのご実家に焼香にお伺いした。お宅では、ご母堂と妹さんが、迎えてくれた。お二人から、闘病中のお話をお聞きした。「兄は、よく松井さんとの思いでを話していました」という。亡くなる半年ほど前、一人では歩けなかった飯島さんを車いすにのせ、妹さんが長野駅前の平安堂に連れて行った際、「松井さんに連絡しようかどうか迷っていた様子でした」ともいう。万事抑制の聞いたお人柄の飯島さんが、妹さんに無理をいい、車椅子にのり、上田から県内で一番大きな本屋に出かけてきたという。本好きな飯島さんの気持ちが痛いほどわかり、涙がこぼれた。

  お焼香にお伺いしてからしばらくして、妹さんが、私の勤務先を訪ねてきてくれた。「兄が好きだったお酒です。いっしょに飲んでやってください」と、「亀齢」を持ってきてくれた。その夜、飯島さんを偲んで、一人「亀齢」を飲んだ。飯島さんとのとても濃い十数年の歳月を思い出し、生きていてくれたら、どんなにたくさんの、楽しい未来を重ねていくことができたことか、と無念の思いが果てなくこみ上げた。

  飯島さんは、50代半ばで旅たった。私はすでにその年齢大きく超えた。
  5月に連休には、もう一人の友人といっしょに、墓参りにいくつもりだ。飯島さんが好きだったハイライトと「亀齢」をもって…

平成23年4月28日