キャリアの隠れ家
第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる。私にとって、運命の隠れ家といってもいい聖地だ。
現代日本画の第一人者といわれた東山魁夷画が亡くなって、今年で11年になる。東山画伯との出会いは、本当に不思議なご縁を感じる。
まだ東京にいた頃、取材の仕事で東京近代美術館に行き、画伯の出世作の一つといわれる「道」とであった。そこから、私の進む道が変わったといっても過言ではない。その「道」は、私がこれから歩むべき人生のゴールに続いているように思えた。そして、32歳のとき、私は家内と二人の子どもを連れ、東京を後にして、ふるさと長野まで帰ってきた。
印刷会社に入社して5、6年後だったか。長野市に東山画伯の美術館ができることになり、なんという巡り会わせなのかと、感慨深かった。その美術館も、今年で開館20年になるという。
さらに、私にとって一生わすれることができない僥倖が訪れた。長野市役所から、ガイドブックの仕事があり、当時の塚田市長と東山画伯の対談を提案したところ、思いがけずすんなりと実現した。塚田市長に同行し、千葉県船橋市の瀟洒なお屋敷にお伺いし、対談に陪席することができたのだ。初めてお会いした東山画伯のお人柄は、凛然とした謙虚さで、市長と交わす言葉のひと言ひと言が、画伯の作品のように澄み渡り、私の心に染み込んだ。3か月ほど後、そのガイドブックの校正をご覧いただくために、ご夫妻で避暑にこられていた志賀高原のホテルをお訪ねした。緊張しながら校正紙を差し出す私に、「とてもよくできていますね。これで、結構ですよ」と笑顔を向けていただいた。本当にうれしく、丁重にご挨拶を申し上げ立ち去ろうとする私を、ホテルの玄関まで送ってこられ、車が見えなくなるまで、その場を立ち去ろうとしないご夫妻のお姿を、今でも忘れない。
東山画伯は生前から、長野市街地が一望できる花岡平霊園に、東山家のお墓を造ることにしておられたという。平成11年5月6日がご命日となった。5月の連休の一日、お参りに行くこともあったが、今年は、8月のお盆に合掌してきた。
絶筆となった「夕星」のスケッチを描かれたという霊園の周辺を散策しながら、そこから北東にあたる我が家の方向を眺めた。
30年前、東山画伯の「道」を歩き始めた私も、そろそろゴールに近づきつつある。