キャリアの隠れ家
第13回 映画館
私は、団塊の世代である。学生生活は、学生運動が社会を騒然とさせていて、キャンパスは機動隊の盾に囲まれ、学生の数よりも、機動隊員の数のほうが多い日さえあるような、そんな落ちつかない毎日であった。一応、授業の時間割はあるが、当日にならないと、授業が始まるかどうかさえ、わからない。直接的な学生運動に関わる勇気もなく、学校へいく目的は、もっぱら、部活のためであった。私は入学早々、映画研究会(映研といった)に入ることにした。そして、授業のない日は、研究活動と称してはほとんど毎日のように、池袋や新宿、銀座の低料金の映画館を梯子し、その後は映研の仲間が集まる喫茶店で、映画評論もどきの駄弁に、夜遅くまで時間を費やした。
長野に帰ってからも、よく映画を見た。好きな女優の映画の封切には、必ず初日に、座席の真ん中で見るようにしてきた。また、どんな映画でも、必ずパンフレットを買った。それは、印刷にかかわる仕事をしてきた責務のような思いからであった。当時は、長野市内の映画館の多くは老朽化していて、東京の居心地のいい映画館がうらやましかったが、3、4年前に、長野にも複合映画施設ができて、快適な環境で、ゆったりと楽しめるようになったのは、腰痛もちの身にはまことにありがたい。
昨年からは、入場料が1,000円になる「シニアサービス」の年齢にもなった。これからは、映画を見るたびに、否応なく自分の老いを意識させられることになり、ちょっと複雑な気分だ。しかしそれも、長い間映画に「投資」してきた時間とお金の贈り物なのだと納得して、これからも大威張りで、「シニアサービス」を活用し、大いに映画を楽しみたい。
平成22年3月
平成22年3月