キャリアの隠れ家
第30回
上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った。
震災を境にして、これからは、「生かされている」ことの意味を、問い続けなければならない日々が続くと、痛切に思う。
今回の震災は、この年齢になってあらためて、人生とは何かを痛切に考えさせられるほどに、衝撃的であった。これまでも、人間は生かされているのだと、青臭い思いを巡らすことはあったが、この度の信じられないほどの悲劇に直面し、「真に人間は、生かされていたのだ」と、現実として納得した。そんな思いを抱きながら、かつて、同じように生きることを考えさせられた場に出かけた。
上田の塩田平、独鈷山の山裾に建つ「無言館」だ。第二次世界大戦で戦没者となった画学生の作品を集めたこの美術館のオーナーが、水上勉を父に持つ窪島誠一郎氏であることはよく知られている。窪島氏が育った場所が、東京の京王線明大前駅の商店街だったことを知り、そこで過ごした自分の学生生活を思い起こしながら、いっそうの親しみを感じた。
窪島氏を間近に見たのは、10年ほど前、須坂の浄運寺で行われた「無明塾」の講演会で、秋山駿、中野孝次両氏と同席されていた時であった。窪島氏は、「お二人はメインディッシュ。私はクレソンのようなもの」というあいさつが、印象的だった。
その窪島氏がライフワークとした戦没者画学生の美術館には、「生きる」ことを許されなかったが若者の無念さと諦観が滲み出た作品だけが並ぶ。館内の静寂さが、カンバスから発せられる無言の叫び声をひときわ増幅し、心に痛く、響く。家族の肖像も、恋人の裸婦も、ふるさとの風景も、出征を前にして描かれたと思われる作品の前に立つと、軽々しく立ち去ることを許されないのは、なぜか。今、ここに生きていることの足音をそっと潜ませながら、目の前の絵から私はどれほどの想像力をもって、「生かされなかった」人々の心情を思うことができるというのか。
第二展示館が、昨年9月にオープンしていた。無言館に収まりきれない作品が収蔵されているが、「オリーブの読書館」と名づけられた図書館が併設され、美術・文芸関連の本が天井まで整然と並んでいた。2万冊あると聞いたが、いわば窪島氏の書斎のようなものだろう。「オリーブの読書館」の名前の由来は、パレスチナから持ち込まれ、建物の周辺に植栽されたオリーブの苗からとられたと聞く。
無言館も、そしてきっとパレスチナも、自ら生きることを許されなかった人々の叫び声を聞くことができる鎮魂の場所だ。私はこの先、この度の震災に遭遇し生きることを許されなかった人々の無言の叫びを、自らの想像力の限りを尽くして、忘れまいと思う。そして、私が今でも生かされていることの意味を、自問自答しながら生きていくことにしたい。
平成23年3月23日