home  → キャリアの隠れ家  → 第30回  上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った。
      震災を境にして、これからは、「生かされている」ことの意味を、問い続けなければならない日々が続くと、痛切に思う。

キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った。震災を境にして、これからは、「生かされている」ことの意味を、問い続けなければならない日々が続くと、痛切に思う。
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫

第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った。 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った。


  今回の震災は、この年齢になってあらためて、人生とは何かを痛切に考えさせられるほどに、衝撃的であった。これまでも、人間は生かされているのだと、青臭い思いを巡らすことはあったが、この度の信じられないほどの悲劇に直面し、「真に人間は、生かされていたのだ」と、現実として納得した。そんな思いを抱きながら、かつて、同じように生きることを考えさせられた場に出かけた。

  上田の塩田平、独鈷山の山裾に建つ「無言館」だ。第二次世界大戦で戦没者となった画学生の作品を集めたこの美術館のオーナーが、水上勉を父に持つ窪島誠一郎氏であることはよく知られている。窪島氏が育った場所が、東京の京王線明大前駅の商店街だったことを知り、そこで過ごした自分の学生生活を思い起こしながら、いっそうの親しみを感じた。

  窪島氏を間近に見たのは、10年ほど前、須坂の浄運寺で行われた「無明塾」の講演会で、秋山駿、中野孝次両氏と同席されていた時であった。窪島氏は、「お二人はメインディッシュ。私はクレソンのようなもの」というあいさつが、印象的だった。

  その窪島氏がライフワークとした戦没者画学生の美術館には、「生きる」ことを許されなかったが若者の無念さと諦観が滲み出た作品だけが並ぶ。館内の静寂さが、カンバスから発せられる無言の叫び声をひときわ増幅し、心に痛く、響く。家族の肖像も、恋人の裸婦も、ふるさとの風景も、出征を前にして描かれたと思われる作品の前に立つと、軽々しく立ち去ることを許されないのは、なぜか。今、ここに生きていることの足音をそっと潜ませながら、目の前の絵から私はどれほどの想像力をもって、「生かされなかった」人々の心情を思うことができるというのか。

   第二展示館が、昨年9月にオープンしていた。無言館に収まりきれない作品が収蔵されているが、「オリーブの読書館」と名づけられた図書館が併設され、美術・文芸関連の本が天井まで整然と並んでいた。2万冊あると聞いたが、いわば窪島氏の書斎のようなものだろう。「オリーブの読書館」の名前の由来は、パレスチナから持ち込まれ、建物の周辺に植栽されたオリーブの苗からとられたと聞く。

  無言館も、そしてきっとパレスチナも、自ら生きることを許されなかった人々の叫び声を聞くことができる鎮魂の場所だ。私はこの先、この度の震災に遭遇し生きることを許されなかった人々の無言の叫びを、自らの想像力の限りを尽くして、忘れまいと思う。そして、私が今でも生かされていることの意味を、自問自答しながら生きていくことにしたい。

平成23年3月23日