キャリアの隠れ家
第5回 小県郡浅科村
他県から信州に来て9年目をむかえる私だが、月に1度、必ず通う憩いの場所がある。そこで過ごす時間は、まさに「命の洗濯」というべきものであり、少々の無理をしてでも足を運ぶことにしている。
Y先生の家に遊びに行くようになったきっかけは、学生時代の“留年”だった。大学の非常勤講師であったY先生のフランス語の授業を落とし、留年が確定した大学2年目。性懲りもなく受講したフランス語の授業のあとに誘われた。言われるままに電車に乗り、たどり着いた先は、長野県でもっとも小さな自治体、小県郡浅科村だった。
その後、Y先生のところでやったことを挙げるときりがない。まき割り、ジャガイモ・ネギの植え付け、ラベンダーのブーケづくり、カシスの雑草とり、りんごジャムの瓶詰め、畑でのパエリアづくり、小屋のペンキ塗り、村のイベントでの出店、知らないルールでの麻雀…などなど。数え切れないくらい沢山の“初体験”と、今にして思えば“ここでしかできなかったこと”を体験させていただいた。
浅科村は風光明媚な自然資源に恵まれた地であり、村の大人や子供も余所から来た私たちに寛容だった。泥だらけのファーマーズルックを身にまとい、軽トラックの荷台に立ったときの風を切る心地よさといったらなかった。時間がゆったりと流れるこの村に来れば、なにもかもが愉快に感じられるようだった。
先に「私たち」と書いたが、私は気のあう学友をここに呼んだ。豊かな田舎を実感でき充足感につつまれたなかでの、普段と違う人間関係や協働作業を通して、私たちはお互いの色々な面を確認し、理解しあえたように思う。通い始めて数ヶ月で、先生の家は早々に私たちにとっての“隠れ家”になっていた。そして、この事実は社会人になった今も変わることはない。
最近考えるのは、農村や社会や多くのことを教えてもらったこの地とこの地の人たちに、これから私たちがなにを恩返しできるのだろうかということである。“隠れ家”を維持するにもコストがかかることを、今の私たちは承知している。私たちが育てられた“隠れ家”を、これからは守っていかなくてはならない。