home  → キャリアの隠れ家  → 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫

「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン
 矢沢永吉のファンなら、一度は行ってみたい場所がある。公式ショップといわれる「ダイヤモンドムーン」だ。
 5月の連休を使って、行ってみた。地下鉄青山一丁目駅から歩いて5分ほど、華やかな赤坂の裏通り、大使館や瀟洒なマンションが並ぶ山の手のディープな住宅地を、おのぼりさんよろしくドキドキ、キョロキョロしながら、やっと、たどり着いた。
 矢沢永吉の事務所や録音スタジオなどが入っているビルの正面玄関の脇、細長く続くアプローチを吸い込まれるように進み、重い扉を開けると、ホームページでも見慣れた、その世界が広がった。「ここは、矢沢永吉ファンの隠れ家です」と挨拶文が掲げられていた。
 そうか、「隠れ家」か…
 1階は、バーとカフェスペースで、2階には、「E・YAZAWA」ブランドのグッズやDVD、そして、なによりもコンサートに欠かせないタオルがフルラインでおいてある。
 たまたま、バーに、キャロルの歌の世界から抜け出てきたような、ポニーテールの女性が、「ウイスキーコーク」(多分…)を飲んでいた。正面から見たわけではないが、「ハニーエンジェル」(もちろん!)に違いない。
 気のせいか、最近、ポニーテールの若い女性がふえたようにも思うけど、と、バーのスタッフと軽口をたたいていたら、「シュシュ」という髪留めが流行っているので、そのせいかもしれませんね、とのこと。矢沢グッズにもあるらしい。
 30年ほど前だったか。コピーライターの糸井重里がインタビューした『成り上がり』を読んで、「矢沢」が記憶に残った。たまたま、生年月日がまったく一緒だったこともあり、親近感を抱いた。長野に帰郷して、車を運転するようになって聴くCDは、「矢沢」が多かった。特に、気の重い仕事に向かう時は、「矢沢」を聞きながら、アクセルを踏んだ。(スピード違反をしないように、気をつけながら…)。そして、昨年、「還暦ツアー」の松本のライブに行って、すっかりはまった。
 矢沢語録で今、とても共感している言葉がある。「ずっと、現場で、バリバリ歌いますから、ヨロシク!」



平成22年5月