キャリアの隠れ家
第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場、伊那仲仙寺を訪ねた。
ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場、伊那仲仙寺を訪ねた。仕事にかこつけて親不孝を重ねた、10年前の自分が見えた。
まだ、母親が元気だった頃、「信濃33番観音札所めぐり」の小旅行に、よく連れ出していた。たまたま、札所めぐりのパンフレットや集印帳の印刷の仕事をしていたので、その取材もかねるという身勝手な「親孝行」でもあったが、その行き先の一つに、伊那の古刹沖仙寺があった。
残暑が厳しい今年もようやくと秋めいてきた9月の休日、飯田で行われたお客様のイベントにお伺いした帰途、久しぶりに仲仙寺に立ち寄った。伊那インターから信大農学部の北東に10分ほど車を走らせると、羽広の里とよばれる平安時代から続く歴史ある集落があり、その奥まった場所に、仲仙寺はある。
羽広集落の集会場に車を置き、杉の古木が並ぶ参道に入ると、右手に本堂が建つ。山門に集印所と書かれた案内板がかかっていたので、ここで本堂に入り、スタンプを押してもらったのだろう。参道をまっすぐ、200メートルほど先の急坂の石段の上に、観音様を祀る古いお堂が見える。古刹を訪ねるといつも感じるのだが、心の奥深くに、静謐な空気が染み渡る。
すでに足腰が弱かった母は、たぶん、この石段を上ることはしなかったと思う。おぶってでも、石段を上りお参りをさせれば、立派な孝行息子だったのだろうが、そんな殊勝な気持ちはほんの少しもなかったに違いない。「お母さんの分までお参りしてくるから、座って、待っていて」、多分、そういうのが、精一杯だったろうと、思う。
さて、家に帰り、集印帳を取り出してみると、仲仙寺の集印日は、「平成11年4月1日」とあった。今から11年前、母が74歳、私が51歳の年だ。そうか、私は長男だから、彼女は、23歳の歳で、母親になったのだ。そういえば、私の娘も、23歳で、長男を産んでいるな。そんなどうでもいいことに何かの縁をこじつけて、納得している自分がいる。
長野から伊那まで、往復4時間ほどの車の旅だが、車中、74歳と51歳の母子は、どんな話を交わしていたのだろうか。「まっとうに生きてきたつもり」と晩年は、よく話してくれた。何事にも控えめな性格の母親だった。
「吾亦紅」の歌詞を思い出しながら、仏壇に手を合わせた。
平成22年10月
次回は、22年11月です。