home  → キャリアの隠れ家  → 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場、伊那仲仙寺を訪ねた。

キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場、伊那仲仙寺を訪ねた。
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫

第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場、伊那仲仙寺を訪ねた。
ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場、伊那仲仙寺を訪ねた。仕事にかこつけて親不孝を重ねた、10年前の自分が見えた。


 まだ、母親が元気だった頃、「信濃33番観音札所めぐり」の小旅行に、よく連れ出していた。たまたま、札所めぐりのパンフレットや集印帳の印刷の仕事をしていたので、その取材もかねるという身勝手な「親孝行」でもあったが、その行き先の一つに、伊那の古刹沖仙寺があった。
 残暑が厳しい今年もようやくと秋めいてきた9月の休日、飯田で行われたお客様のイベントにお伺いした帰途、久しぶりに仲仙寺に立ち寄った。伊那インターから信大農学部の北東に10分ほど車を走らせると、羽広の里とよばれる平安時代から続く歴史ある集落があり、その奥まった場所に、仲仙寺はある。
 羽広集落の集会場に車を置き、杉の古木が並ぶ参道に入ると、右手に本堂が建つ。山門に集印所と書かれた案内板がかかっていたので、ここで本堂に入り、スタンプを押してもらったのだろう。参道をまっすぐ、200メートルほど先の急坂の石段の上に、観音様を祀る古いお堂が見える。古刹を訪ねるといつも感じるのだが、心の奥深くに、静謐な空気が染み渡る。
 すでに足腰が弱かった母は、たぶん、この石段を上ることはしなかったと思う。おぶってでも、石段を上りお参りをさせれば、立派な孝行息子だったのだろうが、そんな殊勝な気持ちはほんの少しもなかったに違いない。「お母さんの分までお参りしてくるから、座って、待っていて」、多分、そういうのが、精一杯だったろうと、思う。
 さて、家に帰り、集印帳を取り出してみると、仲仙寺の集印日は、「平成11年4月1日」とあった。今から11年前、母が74歳、私が51歳の年だ。そうか、私は長男だから、彼女は、23歳の歳で、母親になったのだ。そういえば、私の娘も、23歳で、長男を産んでいるな。そんなどうでもいいことに何かの縁をこじつけて、納得している自分がいる。
 長野から伊那まで、往復4時間ほどの車の旅だが、車中、74歳と51歳の母子は、どんな話を交わしていたのだろうか。「まっとうに生きてきたつもり」と晩年は、よく話してくれた。何事にも控えめな性格の母親だった。
 「吾亦紅」の歌詞を思い出しながら、仏壇に手を合わせた。
平成22年10月


次回は、22年11月です。