home  → キャリアの隠れ家  → 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は、ふるさとの山々や世界中の国々を「隠れ家」とした、偉大な先達である。


キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は、ふるさとの山々や世界中の国々を「隠れ家」とした、偉大な先達である。
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫


  30年ほど前、Uターンして、現在の勤務先の親会社にあたる会社に転職した。今では、「拾っていただいた」という言い方がピッタリの気持ちでいる。

  2回の面接を経て、最終面接は、社長にお会いすることになった。清水栄一(以後、栄一会長)という。呼び捨てにするなど「ばち」があたりそうなほどの恩人で、仕事のことはもちろん、時代の変化を見る視点、歴史から学ぶことの大切さ、そして芸術を愛することの奥深さなど、豊かな人生をおくるためのさまざまなことを、ある時は直接ご教授をいただき、またある時は、大きな「背中」を見ながら学ばせていただいた。

  冒頭の面接で、栄一会長からいただいた質問が忘れられない。緊張して座っている私に、ご挨拶も終わるか終わらないうちにいきなり、「どうして、大学を中退したの?」と切り出された。もちろん、あらかじめ私の履歴書をご覧になっておられたのだが、私にとっては突然の思いがけない質問で、しどろもどろになりながら、「親から送られた授業料を、コピーライター養成講座の授業料に使ってしまい、結局除籍になってしまいました…」とか何とか、そんなことをお伝えしたかと思う。栄一会長は、しばらく黙ったままおられた後、なぜか困惑したような表情を浮かべ、すぐにがっかりされたような、悲しそうな表情に変わった。「ああ、これで不合格かな」と半ばあきらめていたが、しばらくして、内定をいただいた。

  今では、就職面接をアドバイスする立場の私ではあるが、自身の面接の「できばえで」は、そんな程度であった。しかし、それでも採用をしていただいたのは、今から思えば、終戦前の一時期、長野中学で英語の教鞭をとっておられた教育者としての栄一会長の思いやりではなかったか、と想像している。「この会社に入って仕事を学び、自分なりにちゃんと卒業しなさい」というお気持ちであったのだろうと思えるのだ。入社後は、そのご恩に報いられるよう仕事に集中し、それなりに結果も残してきたようにも思うが、栄一会長がご健在であれば、まだまだ、合格点はいただけそうもない。

  先日、かくしゃくとしてお元気な栄一会長の奥様と、ある機会にご一緒させていただいた際、「主人は、家でよくあなたのことを話していましたよ」と、おっしゃっていただいた。この上なくありがたく、目頭が熱くなった。

  栄一会長は、お忙しいお体のわずかな時間を惜しんで、山のぼりや世界旅行を楽しみ、40年も前パリで見つけた旅行者向けの情報誌をヒントに、日本で初めてのタウン情報誌となる「ながの情報」を発行された。かけがえのない「隠れ家」での時間を、見事に「キャリア」に結びつけるという卓越した起業マインドをお持ちの方だった。

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平成23年3月