- 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は、ふるさとの山々や世界中の国々を「隠れ家」とした、偉大な先達である。
- (株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫
30年ほど前、Uターンして、現在の勤務先の親会社にあたる会社に転職した。今では、「拾っていただいた」という言い方がピッタリの気持ちでいる。
2回の面接を経て、最終面接は、社長にお会いすることになった。清水栄一(以後、栄一会長)という。呼び捨てにするなど「ばち」があたりそうなほどの恩人で、仕事のことはもちろん、時代の変化を見る視点、歴史から学ぶことの大切さ、そして芸術を愛することの奥深さなど、豊かな人生をおくるためのさまざまなことを、ある時は直接ご教授をいただき、またある時は、大きな「背中」を見ながら学ばせていただいた。
冒頭の面接で、栄一会長からいただいた質問が忘れられない。緊張して座っている私に、ご挨拶も終わるか終わらないうちにいきなり、「どうして、大学を中退したの?」と切り出された。もちろん、あらかじめ私の履歴書をご覧になっておられたのだが、私にとっては突然の思いがけない質問で、しどろもどろになりながら、「親から送られた授業料を、コピーライター養成講座の授業料に使ってしまい、結局除籍になってしまいました…」とか何とか、そんなことをお伝えしたかと思う。栄一会長は、しばらく黙ったままおられた後、なぜか困惑したような表情を浮かべ、すぐにがっかりされたような、悲しそうな表情に変わった。「ああ、これで不合格かな」と半ばあきらめていたが、しばらくして、内定をいただいた。
今では、就職面接をアドバイスする立場の私ではあるが、自身の面接の「できばえで」は、そんな程度であった。しかし、それでも採用をしていただいたのは、今から思えば、終戦前の一時期、長野中学で英語の教鞭をとっておられた教育者としての栄一会長の思いやりではなかったか、と想像している。「この会社に入って仕事を学び、自分なりにちゃんと卒業しなさい」というお気持ちであったのだろうと思えるのだ。入社後は、そのご恩に報いられるよう仕事に集中し、それなりに結果も残してきたようにも思うが、栄一会長がご健在であれば、まだまだ、合格点はいただけそうもない。
先日、かくしゃくとしてお元気な栄一会長の奥様と、ある機会にご一緒させていただいた際、「主人は、家でよくあなたのことを話していましたよ」と、おっしゃっていただいた。この上なくありがたく、目頭が熱くなった。
栄一会長は、お忙しいお体のわずかな時間を惜しんで、山のぼりや世界旅行を楽しみ、40年も前パリで見つけた旅行者向けの情報誌をヒントに、日本で初めてのタウン情報誌となる「ながの情報」を発行された。かけがえのない「隠れ家」での時間を、見事に「キャリア」に結びつけるという卓越した起業マインドをお持ちの方だった。
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平成23年3月