キャリアの隠れ家

キャリアの隠れ家

第73回 漆職人も矢沢永吉も、「単純」な「仕事」を根気良くやり続けることで、「仕事」の奥底に隠れて見えなかった「天職」と出会った。



 人生は、「入学」と「卒業」の繰り返しだと思う。「キャリア」のイメージもまったく同じだ。たとえば、螺旋階段を上がるようなイメージで、「キャリア」の構図が見えてくる。

  螺旋階段には、必ず「踊り場」がある。それが、いわば「キャリア」における「節目」のイメージに重なる。

  「キャリア」は、よく道に例えられもする。しかし、目の前の曲がりくねった、紆余曲折を予感させる道も、高い空から見下ろすと、真っ直ぐに続く一本の道に見えるものだ。だから、「キャリア」を考える時、俯瞰的、複眼的な捉え方が、とても大切だと思う。

  「キャリア」というと、高学歴や有名企業や専門資格などを有する人の中にあるものと思われがちだが、私はそうではなく、日々、地道な仕事の積み重ねの中にこそ、「キャリア」の本質があると言いたい。

  漆職人は、幾重にも根気よく漆を塗り重ねて行くうちに、突然と、キラキラと輝く漆の美しさが現れる瞬間に出会い、その単純な仕事の陰に隠されていた仕事の本質を感じることになるという。

  仕事の本質を垣間見る時、収入源としての「労働」から「キャリア」へと進化する。「キャリア」と「天職」は、コインの表裏の関係になる。

  矢沢永吉の「FIFTY FIVE WAY」というタイトルのアルバムを観ていたら、こんな発言をしていた。「~今になって、僕の仕事は、歌手なんだと思える。町から町へ歌を歌って、マイク蹴り上げて、娘を大学に行かせ、家族を養っているんですよ。~あえて、僕の仕事は、歌手なんだと言いたいんですよ。~ファンは、永ちゃんは、好きな歌を歌って、気持ちいいでしょう、ていうけど、冗談じゃない。カラオケ歌っているわけじゃあないよ。~ステージに立てば、あとは、やり切るか、そうでないか、本気かどうか、だけですよ。」

  矢沢の言葉から一つ大事なことに気づく。それは、「人のために仕事をする」という視点だ。仕事には、誰かのための責任がついて回る。娘を大学に行かせるために仕事をするという責任、ファンやお客様のために仕事をするという責任、目の前にはいないけれど、世界の何処かで待っている誰かのために仕事をするという責任。「責任」のない仕事は、もちろん「天職」とは無縁である。

  「~僕の仕事は歌手なんだと言いたくなった」という矢沢の職業意識には、「天職」に通じるところがあるように思えた。漆職人が、何百回と漆を塗り重ねて漸くと輝く瞬間にであい、仕事の本質にであうように、矢沢は、18歳で広島から上京し、以来400曲に及ぶ楽曲を作り、全国各地で数千回のステージを重ね中で、「歌手」という「職業」を手に入れた。
 
 キャリアは、「入学」と「卒業」の繰り返しを続けながら、いつの日か、最大の「節目」迎える。それを、「キャリアの折り返し点」と言ってもいい。「天職」とは、「キャリアの折り返し点」で感じる、肯定的な「職業意識」と言い換えてもいいのではないか。

  十数年前、私が人材事業に特化することになったことをある友人が、「それはいい。松井さんにうってつけだ」と、喜んでくれたことで、私の「天職」を感じたと書いた。今思えば、その時が、私にとってのキャリアの「折り返し点」だったのだろう。私が50歳の時、いわば、「FIFTY WAY」だ。

  すでに、私の「折り返し点」から、十数年が過ぎた。組織人としての「キャリア」のゴールは近づいてはきたが、組織から離れても、次の「ゴール」に向けて、私の「キャリア」は続く。

  「 FIFTY FIVE WAY」で、矢沢は、こうも言っている。「僕は、リタイアはしないよ。歌い続けることが、一番自然で、コンフォータブルだから。~歌手という、手に職業を持ったからね。~人間は、(仕事で)飛ばし続けることが必要なんですよ。」

  さて、「天職」について、一先ずこの辺にしよう。何とか、終焉できるのも、やっぱり、永ちゃんに助けてもらえたからだ。(感謝)

  平成25年3月24日
株式会社カシヨキャリア開発センター
常務取締役  松井秀夫