キャリアの隠れ家

キャリアの隠れ家

第66回 久しぶりに会社の伝統的な「ミーティング」に復帰したので、読書の醍醐味を話した。それは、亡き会長が始めた、40年以上も続く伝統の行事だ。



 弊社には、毎朝、始業時間の8時30分になると同時に、営業・管理部門があるフロア全員の前で、一日一人ずつ順番に、日頃の所見を述べる「ミーティング」と呼ばれる「習慣」がある。

  30年ほど前の入社当時、清水栄一会長から、「うちの社員は、大勢の前で、堂々と話のできる人間になって欲しい。この「ミーティング」の場は、そのための練習時間だ」と、説明していただいた。

  時間は、10分前後で、仕事のこと、趣味のことなどテーマは自由なのだが、清水会長はいつも一番後ろに控えるデスクにどっかりと座り、晩年は、耳に片手をあてて、社員の話を一言も聞き漏らさないようにでもするようなお姿で、お聞きになられていた。

  ある時、一人の社員が十分な用意もせず、前夜観たテレビドラマの話をしたら、早々に別室の社長室に呼ばれていた。後で聞いたら、ずいぶんと叱られたと、言う。清水会長は、週刊誌や民放のテレビ番組が「大嫌い」で、最近お孫さんから、「昔、おじちゃんのうちに遊びに行って、民放のテレビ番組を観ていたら、ずいぶん叱られた」とお聞きして、「可愛いお孫さん」にまで、「徹底」していたのかと、改めてそのお人がらに感服した。

 さて、11年前、子会社にあたる人材会社を設立していただき、出社する職場も変わったので、「ミーティング」は卒業していたのだが、最近復帰することになった。そしてつい先日、大先輩の方お一人を除き、全員私より年若い後輩の人たちの前に立った。

  どんな話をしようか、2、3日前から考えた。今でも、一番後ろの席に、亡き会長が、片手を耳にあて、目を閉じ、じっと聞いていらっしゃるようなつもりで、マイクを握った。

  ちょうど、「異能の編集者」(松岡正剛著『松丸本舗主義』の著者のプロフィールより)として知られる松岡正剛さんが、大手書店の丸善と組んでオープンした「松丸本舗」と称する「書店内書店」的な企画が終了したというタイミングだったので、その松岡正剛さんと、本について、話をさせていただいた。

  編集やデザインに携わる50代以上のものにとって、その先鋭的な特集テーマと独特のエディトリアルデザインの『遊』という雑誌の存在は、憧れの対象であった。現在の会社に入社した当時、資料などが並ぶ書棚の一角に、その『遊』のバックナンバーを見たとき、正直うれしかった。その編集長が松岡正剛さんで、その後、編集工学研究所を設立し、「『編集的世界観』を軸に、生命科学から芸術、日本文化から経済論におよぶ膨大なジャンルに縦横無尽に橋をかけ、新しい思考の提案を続ける」(同上より引用)方だ。

   「松丸本舗」には、上京した際は、わずかな時間でも立ち寄りたい衝動にかられていた。松岡さん自身が選んだ2万冊もの本が、まるで迷路のように配された書棚にところせましと並べられていて、一歩入り込むだけで、知的興奮襲われる。

  松岡さんは、「棚読」という造語を編み出し、書棚を見ることも、読書の一種であると言っている。「松丸本舗」の中は、まさに、「棚読」のための世界でもあった。

  その「松丸本舗」が閉店したと聞き落胆したが、開店から閉店までの始終を記した『松丸本舗主義』(青幻舎、松岡正剛著)が出版されたので、しばらくは、この本で、淋しさを紛らわせることができそうだ。

  さて、久しぶりの「ミーティング」は、「松丸本舗」閉店のリクエイムのつもりも兼ねて、上記の本に書かれている、こんな松岡正剛さんの言葉で締めくくった。

  「~(読書は)~『自分の探したいものしか探せない』という、Google的検索システムの最大の欠点を補うものである。自分が探したいものなど、自分の中からしか出てきていないわけだからたいしたことはない。『〈自分の探したいもの〉ではないもの」からしか、飛躍的な思考など生まれないのだ。」

  一昨年から、地元の若い古書店主が始めた「一箱古本市」に出店した私の店の名前は、「松歴本舗」と名付けた。自分の名前と、古書店の「遊歴書房」の一部をとったもので、「松丸本舗」を気取った。来年も、古本市があるとしたら、もちろん、こちらは、続けようと思う。

    「ミーティング」の「10分」という原稿量の制限は、もうとうにすぎてしまったが、会長がお聞きなっていたら、少しは成長したと、喜んでいただけるだろうか。

 平成24年12月28日

 株式会社カシヨキャリア開発センター

常務取締役  松井秀夫