キャリアの隠れ家
- 60回 私のキャリアの原点を思い出す時、「とんかつの後ろに聳えた山盛りのキャベツ」が、切り離せない。文字通り、私の「キャリア人生」のご馳走だ。

修行時代の本で手元にあるのは、これだけだ。『デザイン宣言~美と秩序の法則』(昭和41年:美術出版社)
40年ほど前、大学3年生の後半から、コピーライター養成講座に通い始めて、就職活動も始めたように思う。すでにコピーライターとして就職していた先輩から、日経新聞に求人広告が出ているから、見逃さないようにと助言されたので、たまに、日経を買っては、「コピーライター募集」の求人広告を探した。
当時はコピーライターといっても、広告業界関係者しかわからない職種だったろう。大学から実家に、学費未納で4年生に進級できず「除籍」処分になったという通知が届いていて、たまたま電話をいれたところ、母親がたいへんなショックを受けていて、「大丈夫、コピーライターになるつもりだから」と言ったら、「お前にそんな機械をいじれるはずがない」と、すれ違いの話が続き、どうやら、「複写機械」のコピーと混同していることがわかり、妹達に「よく説明しておいて」と、頼んだりした。
幸いに、小さな広告会社に拾ってもらった。学生時代に書き溜めていた「シナリオ」を持ち込み、今風にいうと、「自己PR」に使った。コピーライターの養成講座に通ってはいたが、自信は、まったくなかった。とにかく、自立しなければならない、という思いで焦っていたので、採用してくれるのなら、どんな会社でもよかった。
そんな中途半端なものを拾ってくれたのは、設立してまもない広告会社だったが、クライアントは、大手企業を持ち、その後急成長していった。先輩のコピーライターが、5、6人いて、入社してしばらくは、先輩からあてがわれた「広告原稿」を書くことから始まった。週刊誌、月刊誌などが中心だったので、出版社に入稿しなければならない締め切り日までに、まず、「原稿」を書き、上司からOKをもらい、それを、デザイナーに渡し、広告誌面に仕上げ、クライアントの承認をいただき、出版社に持ち込むという工程だった。毎週、毎月、あっという間に締め切りが迫ってくる。上司からのチェックも厳しく、デザイナーからの注文もあれこれ細かい。会社には、寝泊まりできる部屋があり、電車がなくなると、そこに泊まって、締め切りに間に合わせたりした。
最初の1年は、多分契約社員だったかと思う。1年後に正式な社員として採用され、将来的に自立できるのかどうかは、自分に、コピーライターとしての能力があるのかどうか、実力をつけることができるのかどうか、それ次第なのだ。
「よいコピーを書けるようになるためには、一流のコピーライターの作品を書き写して、その構成や文体を肉体化すること」「デザインのわかるコピーライターになること」と、いつも、そればかり言われ続けた。「コピーライター養成講座」の先生に、当時、日本を代表するコピーライターがいた。百貨店の伊勢丹のキャンペーンコピーで、時代を代表する作品を連発していた。その先生から、「古典落語の言葉のリズムを見本する」という授業があり、三遊亭圓生の落語全集を買って、書き写すようなこともしていたが、入社してからも、休日があれば、そうしていたし、JRの駅に貼られているポスターのキャッチフレーズを書き貯めていくために、山の手線めぐりもした。
入社して1年間は、毎日、毎日、修行のような時間が過ぎた。厳しいチェックを受け、今晩中に書き上げ、OKをもらわなければ、間に合わない、そんな綱渡りのようなことも頻繁だった。そこまでダメを出し続ける上司や先輩やデザイナーが、本当にうらめしかったが、ほぼ1年ほど経ったある日、上司から、「夕食にでも、いくか」というお誘いを受けた。ちょうど、契約の時期でもあったので、その話かな、と肝を冷やす気分だったが、お供した。
会社の近くのとんかつやさんにはいり、定食を頼んでいただいた。そこは、大盛りのキャベツが人気で、本当に富士山のような山盛りのキャベツが出てくる。ちょうど、そのとんかつが上司と私の前に出された時、「最近、成長してきたね」、といいながら、上司は、ご自分のお皿に、ソースをかけた。
私は、一瞬何のことかわからなかったが、すぐに、ほめていただいていることだと理解できた。「この調子で頑張れよ」といいながら、上司は、山盛りのキャベツを口に運び始めていた。
私は、自分の前に置かれたとんかつとその後ろに聳えるキャベツの山をみながら、ホッと、した。「ありがとうございます」、そういって、私も、キャベツにソースをかけた。白いキャベツが、濃い茶色のソースにそまった。
コピーライターから出発し、40年後の今、紆余曲折した自分のキャリアを振り返る時、「富士山ように山盛りのキャベツ」が、いつも思い出されてくる。とんかつと、それにつきもののキャベツは、自分の「キャリア人生」にとって、まことに「美味しいご馳走」だと言える。
平成24年10月
株式会社カシヨキャリア開発センター
常務取締役 松井秀夫