たまたま、 NHKスペシャル「プロ流儀」の「イチロースペシャル!」の再放送を観た。番組の最後で、インタビュアーの、「これからの目標は?」という質問に、「~野球選手としては、確実に『死』に向かっている。~幸せに、『死ぬ』ことですね~」と、いかにもイチローらしい、シニカルな答えが返ってきた。
イチローが、小学6年生の頃綴ったという作文を読んだことがある。「~全国大会にでて、自分が一番素晴らしい選手であることがわかった。~必ずプロ野球選手になり、~ドラフト一位で、契約金は1億円以上が目標です。~」というような文章であった。イチローは、思い描いた以上に見事にその夢を実現し、日本にとどまらず世界の頂点に立ち、そして40歳を迎えようとしている今、野球選手としての職業の「死」を意識しながら、生きている。そんなイチローにとって、野球選手という「職業」は、「天職」と言えるのであろうか?
女優という職業の吉永小百合は、 小学5年生の時に初めて学芸会の舞台に立ち、先生に褒められて、演じることの面白さを体験したが、中学に進み、母親から、生活のために無理やりに女優という「職業」を迫られ、それにずいぶん反発したという。
その「トラウマ」故か、20代の人気絶頂期、母親との壮絶な葛藤に苦しむことになるが、その時の代償は大きく、両親の元から逃れるようにして結婚はしたものの、結局、母親になることは自ら断念したと言われる。女優デビューから55年を経てなお、吉永小百合は、女優という職業の頂を歩き続けている。
もう一人、男優として高倉健を見よう。彼は、大学を卒業して、生活のために映画業界に入り、マネージャーになろうとしていたが、偶然出会ったプロデューサーから俳優業を勧められ、自らの素質もよくわからないまま、その道を選んだという。以前発売されたインタビュー本には、「母親から褒められたくて、役者を続けてきた」と、語っている。
高倉健は、大スターでありながら、現場を支える「仕事」仲間への気配りは尋常でなく、また、厳冬の撮影中でも、ただ一人暖を取らず、零下10度以上の吹雪の中に立ち尽くし、撮影再開を待ち続けたというエピソードの持ち主である。また、 撮影中であれば、両親の葬式にさえ出ないほどにストイックな姿勢で、俳優という「職業」に全身全霊をかけてきたことは、よく知られているところだ。
ロックシンガー矢沢永吉は、幼い頃の貧しい生活からぬけだすために、高校卒業を待ちきれないように上京し、100メートル先のタバコ屋に、キャデラックでタバコを買いに行けるような「ビッグ」を目指し、それが実現してからもその生き様を貫き続け、それゆえというべきか、人に言えないほどの辛苦を味わうことになった。才能豊かな矢沢の楽曲とは別に、切れのいい矢沢語録に鼓舞され、その生き様に共感してきた「やんちゃ」な若者の数知れず。
そして最後は、ビートたけしの芸名を持つ北野武。大学の工学部に入学するが、騒然とした学生運動の世を混沌と過ごし、アルバイトを転々とし、結局卒業することなく、たまたま漫才師で「食いつなぎ」、大島渚に役者の素質を見出され、それを機に映画の魅力に出会い、監督として名作を作り続け、世界的名声を得ている。さてさて、この人の場合の「天職」とは、何だろう。今でも演じ続けている「コメディアン」とか「役者」なのか、それとも「映画監督」か?
たけし風にいえば、「天職?そんなもの、おいらには関心ないね。」と、簡単に、切り捨てられそうだが。
さて、本稿の最後に、すでに社会的評価が定まった人とは、少し趣きが違う人を例に、「天職」を考えて見たい。
それは、30歳の若き登山家、栗城史多(くりき のぶかず)さんだ。この若き登山家は、自らの登山工程をツイッターで発信することで知られている。栗城さんが山登りを始めたのは、「登山好きの彼女に気に入られたいから」だというから、面白い。さて、私も仲良しの山好きの友人から勧められて、栗城さんのツイッターをフォローするようになったが、たまたま、昨年秋のエベレスト登山の際、全身凍傷の状況に陥ったことがツイッターでリアルタイムに発信され、栗城ファンたちに衝撃を与えた。それでも無事帰国できたが、現在でも、最悪10本の指のうち9本を切りおとされなければならない闘病生活を送っているという。そして、その最悪の事態と毎日向き合いながら、それでもまた、次のエベレスト登山のプランを練っているという。
1回の登山で、約7000万円かかると言われるエベレストに登るためには、まず、企業などのスポンサーを集めないといけないという。この経済状況下、7000万円の資金を集めるだけでも大変なことだろうから、栗城さんには、登山家の前に、ビジネスマンとしての才能が必要になるだろう。栗城さんのブログに、「~山を登ることは、それほど難しくない。山に登り続けること、そして生き続けることが難しい。頂に登ることができても、また頂に登るだけ。~」という文書がある。
「なぜ、あなたはエベレストに登るのか?」と問われ、「エベレストがそこにあるから」と答えた、有名な登山家の言葉を思い出させる。
この人の職業は、「登山家」であることは間違いないのだろうが、まだまだ若い彼が、今後「天職」の「声」を聴くことができるのか。命がけの職業につくことで、「天職」の「声」を聴けないのは、可哀想な気がするが。
さて、「天職」とは、いろいろな職業の中でも、特に、その人にもっとも適した職業、と言う意味だろう。ここでご紹介した有名人にとって、今の「職業」は、常識的には「天職」だといわれるはずだが、果たして、ご本人たちにその意識があるかどうか、疑問だ。
キャリア形成を支援する時、幾つかの「キャリアモデル」を掲げ、そのプロセスを辿り、いくつもの節目や分岐点を浮き彫りにし、その乗り超え方を学ぶ、という手法がある。本稿で紹介した6名には、現在に至るまでには、人には言えない苦しい節目や分岐点が、いくつもあったことだろう。
「キャリア」とは、馬車の轍を語源とすると聞いた。いうまでもなく、轍は、馬車が通った後にできるものだ。「キャリア」というと、自分の将来を描くことのように考えるが、これまでの過去の轍を見つめる事こそ、キャリアを考える上で不可欠のことだと思う。ここでご紹介した6人の轍に刻まれた困難やその乗り超え方の中に、人生の本質が潜んでいると思う。そして、それらの節目や分岐点の乗り超え方と「天職」という考え方には、密接な関係があるように思うのだ。
次号では、職業の節目、分岐点について、考えて見たい。
平成25年2月13日
株式会社カシヨキャリア開発センター
常務取締役 松井秀夫