中学生の頃、授業中に「映画鑑賞」の時間があり、その場所は校内の体育館だったり、たまには、街中の映画館に出かけることもあった。そんなある日、「キューポラのある街」を見たのが、吉永小百合との初めての出会いであった。
スクリーンに映る、セーラー服にお下げ髪、大きな瞳をきらきらさせて、正義感あふれある行動的な美少女に、私の心は、なぜか、なぜか、ときめいた。
以来、63歳のこの歳まで、50年来のファン、世間でいう「サユリスト」となった。中学生から高校生の頃は、ファンクラブに入っていた。高校1年の時、吉永小百合の20歳の記念コンサートがあり、東京に住む叔母を頼って上京し、新宿の厚生年金会館に連れて行ってもらった。ステージ上で、ほんの米粒ほどにしか見えない吉永小百合が歌う20歳記念曲「街のハト」の歌声は、今だに、ぼんやりとだが、頭の中の残滓となっている。
吉永小百合は本名で、母上が出産後に作った短歌のなかの「~白百合のごとく~」から、「小百合」と名付けられたという。芸名としてもこの上ない名前なので、生まれた時から、女優であることを宿命づけられていたのかもしれない。
吉永小百合は、小学5年生の学芸会で主役を演じ、以来演じることの楽しさに目覚め、母親の勧めもあって、女優の道に進んだという。今でこそ、日本を代表する女優として、異を唱える人はいないだろうが、決して順風満帆な道ばかりではなかった。10代の頃から、家計のために女優であることを強いられ、20歳の頃には、ストレスで声が出なくなり、25歳の人気絶頂期に、15歳歳上の「ジャガイモのような男性」と、母親の大反対を押し切って、家出同然に結婚した。母親は、後年の手記で、こんな歌を読んでいるという。「自殺するなと われにさとせし 老い夫の 心の中を 子達は知るか」「悲しいね 悲しいねと叫ぶがごと 去りし娘の 後ろ姿追う」。そして、その相手を、「初めて、人を殺したいと思った」と自著に書いていたと、どこかで読んだことがある。
吉永小百合は、例えば、彼女が敬愛する女優樹木希林のような演技派の女優ではない。もちろん、役柄のために相応の努力は尽くしたとは思うが、自身の根源的な人格を超えてまで、その役になり切るというタイプの女優ではない。
高倉健と共演した「動乱」では、何と娼婦に身を落とす薄幸の汚れ役だったが、私にはどうしても、「娼婦」には見えなかった。それは、演技が下手というレベルではなく、女優の前に、人間として吉永小百合の「素」が隠しようもないほどに、魅力的であったためだと思う。
また、三浦友和や西田敏行と共演して、殺人者という魔性の女を演じた「天国の駅」でも、とても人を殺すような残酷な情念は感じられなかった。あまりにも可憐過ぎて、こんな人に、とても殺人などできるはずがないと思ってしまう。
先日、高倉健の「あなたへ」を観て、吉永小百合に感じる役者観とおなじような思いをした。高倉健は、ヤクザ映画の主人公を演じようと、孤独な居酒屋の主人を演じようと、そこには、孤高の人間性を備えた高倉健がいる。
吉永小百合の最新作「北のカナリアたち」は、夫を愛しながらも、不倫をしてしまう教師役を演じていたが、スクリーンに映し出される吉永小百合は、67 歳にはとても見えないほど若々しく、その身体性と精神性からに染み出る美しさが際立ち過ぎて、聖職者としての教師でありながら、二人の男を同時に愛してしまう女性の性を、感じることはできなかった。
最近、吉永小百合の写真を見ていると、不思議な感慨に、襲われる。吉永小百合の写真の表情が、時に、自分の母親で面影であったり、女房の一瞬の横顔であったり、また、これまでに出逢った女性たちの面影を思い出させるのだ。
千手観音は、千の手を持ち人を救うというが、私にとって、吉永小百合という女性は、千の顔をもつ、永遠の女性の象徴といえる存在なのかもしれない。
さて、特別上映会でお隣同士になった山形の「サユリスト」(女性でも、「サユリスト」はたくさんいる)とは、会場が明るくなってから、どちらともなく、「よかったですね」と言い合った。なぜか、このまま別かれがたく、facebookしていらっしゃいますか、と聞きたかったのだが、言えないまま、「お元気で!」というのが、精一杯だった。
※引用した吉永小百合さんの母上の短歌は、「どんぐりの背比べ」という方のブログで、知りました。お礼いたします。
平成24年11月17日
株式会社カシヨキャリア開発センター
常務取締役 松井秀夫