キャリアの隠れ家

キャリアの隠れ家

58回 40年ぶりに再会した大学の同級生。青春の光と影を伴走した、かけがえのない友人と、思いがけない出会い。


夕暮れ、待ち合わせの時間より5分ほど早く、京王線明大前駅の改札口を出ると、交番横の掲示板を見いっている男性に目が行った。後ろ姿形を見て、40年前の友人の顔が、卒然と浮かび、待ち合わせの友人だ、と直感した。

彼は、私の視線を感じたのか、不意にこちらにその顔を向けて、すぐに「おおっ」という顔をして、近づいてきた。やはり、40年ぶりに待ち合わせた旧友のM君だった。

もし、前触れもなくすれ違っていたら、多分わからないだろうと、思った。しかし、目鼻立ちを探って行くうちに、40年前の記憶が少しづつ蘇ってきた。もちろん相応に年老いて、深い皺も刻まれているが、想像していたよりは、若かった。髪は黒々としているし、目の光にも、まだ現役の輝きが残っている。

握手する手に、おもわず力がこもる。これまで、たくさんの人たちと握手してきたが、この握手は、格別感慨深い。手を握り合う、数十秒ほどの短な時間に、M君との忘れがたい思いでが火花を散らして放熱し、それから、夕闇の街並みの空に、優しく消えて行った。

「先ずは、お茶でも、、、」互いにどちらでもなく誘い、近くの喫茶店に入った。硬い椅子がお決まりの、今風の喫茶店。40年前にも、二人はこうして、当たり前のように喫茶店に入り、3時間でも4時間でも、文学や映画の話で、時が流れたのだ。その頃は、ゆっくりと座れる深いソファーが、一般的だったのに。急に、喫茶店の椅子の硬さが、腹立たしくなった。

「この辺りの、『倉敷』という名前の喫茶店に、よく行ったよね」「『倉敷』?覚えておらんな~」「ウエイトレスに可愛い女の子がいたよ。S君が、ぞっこんだった、、」

「倉敷」を覚えているのは、私。そんな、あまりにもたわいもない私の話が割るか終わらないうちに、M君は、真面目な顔つきをして、私に連絡をしてきた経過を話してくれた。「たまたま、会社の女の子に、facebookを教えてもらい、旧友の名前を何人かいれていたら、最初にお前の名前が、ヒットしたんや。ええ、と思った。まさか、、、と思いながら、大学の名前や出身地をみて、顔写真も、そうやな、この顔やと、似ておったし、、」M君は、岐阜県の出身で、若い頃の聞き慣れたイントネーションが、懐かしい。

「卒業して、しばらくは、家業の店を継いだんやが、その店をたたんで、地元の会社に入った。そこで今までつないでおるんや。。。」差し出された名刺をみると、「取締役営業本部長」となっている。「お前は、常務か。facebookでも、活躍している様子で、嬉しかった」

M君は、60歳の定年の区切りはあったものの、経営者に請われ、そのまま営業部門の責任者をしているようだ。50代までは、仕事で海外にもよく出かけたという。今でも表情に残るその精悍さは、当時の賜物か。

1時間ほど話した後、キャンパスを見てみようということになり、甲州街道まで、200mほど歩いた。校舎は、40年前とはすっかり変わっていて、白い外壁の、箱型をした大きな建物が、いくつもできていた。それは当たり前のことなのだろうが、ちょっと意外な気がした。こんな冷たい外観のキャンパスではなかった、と、淡いセンチメントが裏切られたように思った。入学した年は、特に学生運動が激しく、明大前駅からキャンパスまでの商店街は機動隊がずらりと並び、行き交う学生の動きを規制していたように思う。

気がつくと再会してから1時間半ほどが、あっという間に過ぎていた。明大前駅の商店街は、すっかり夜の顔に変わっていた。

さて、二人のお楽しみは、これからが本番だ。私たちは、また京王線に乗り、千歳烏山にある永ちゃんファン仲間の焼肉店に向かった。 (続く)

平成24年9月

株式会社カシヨキャリア開発センター
常務取締役 松井秀夫