新春早々、外資系のホテルの旧日本支社長で、「ホスピタリティ」の第一人者で知られる高野登さんが主宰する勉強会に参加してきた。テーマは、「命、この愛おしきもの。」本来、少々シャイな思考スタイルを持つ身とすれば、このような直球勝負の勉強会は、いつも少々腰が引けがちなのだが、友人のお誘いもあり、出かけてみた。
ゲストスピーカーのお一人大久保寛司さんは、多くのベストセラーを持つ経営コンサルタントで、経営者をはじめ全国各地に熱心なファンがいらっしゃると聞く。冒頭から、「命って、生きるって、私だって、実は、よくわからないんです。」と、極めて自然体の語りだしで、ちょっと緊張気味の私は、内心ホッとした。そして、「命」というテーマを、ご自分の掌の上に宝物のようにすくい上げて、愛おしそうに語る大久保さんは、会場の空気をその優しさで、一つに収斂して行った。
「でも、あえて、私なりに言うとしたら、命って、縁(えにし)なんだろうって思う。(中略)人の命は、縁の無限連鎖ではないか。今の私に至るまで、ものすごい人の命が関わり、誰か、一人でも欠けていれば、今の自分はいない。その無限の縁によって、今の私は、生かされている」そんな論旨に、私は、すぐに引き込まれた。
「人間は、死ぬ時にはきっと、過去の自分を振り返る一瞬があるだろう。その時に、後悔したくない。まん丸でなくても、せめて、三角か、円に近い三角になるようにしたい。過去の生き方に、後悔しないように生きたい、それが私の生きる軸なんです」と結ぶ大久保さんのスピーチは、人間性の基底から滲み出る味わいが私の感性と心地よく共振して、とても素直に納得できるものだった。
お二人目の尾角光美(オカクテルミ)さんは、母親を自殺でなくした過酷な経験を持ち、その体験談を交えながら、生きることの基本的な心構えについて、語ってくれた。「 Live on」という名前の活動拠点を持ち、同じ体験を持つ青少年や宗教家たちに、講演や交流活動を行っているという。
「私の母は、自分から命を絶った。(中略)生きているか、死んでいるかは関係無い。私は、『お母さん』と呼ぶことで、母親は、私の中に、生き続けている」という。「毎日、白と黒の間のグラデーションの中を、白へ寄ったり、黒へ寄ったりして生きている。(中略)私は、Don’t. juge(ジャッジしない)を心がけて、生きて行こうと思う」と、まるでソプラノの歌曲を聴いているようによく澄み渡る声が、会場の隅々まで響く。
確かに、人の心の中は、こうすべきだ、こうあって当たり前だ、という呪縛に囚われてしまいがちだ。尾角さんは、「自分に近い人に対しては、特に厳しくジャッジメントしがち」という。成るほど、尾角さんのこの導きに、私は、多いに納得した。
私にとって近い人とは、たとえば家族や職場の部下だろうか。尾角さんの話をお聞きしながら、そうか、私など、まさに、厳しくジャッジメントし続ける、その典型的なタイプなんだと、改めて気づかされた。
「自分は、こうしてあげた。だから、こうしてもらってあたりまえだ。」という、見返りを求める我欲。「常識はこうだから、こうすべきなんだ」という、固執。事実を真摯に見ようとせず、こうあってほしい、あるいは、こうなって欲しくないという、妄想と批判に溢れたジャッジメントをし続ける自分がいる。
私の母方の祖母は、90歳まで生きた。その祖母から、晩年、よくこんな話を聞いた。「人の話は、よく聞いてあげなさい。それから、その人の立場に立って話をしてあげなさい。そして、それまでのすべてを許してあげなさい」と。さらにその後もう一度、まるで、自分自身に言い聞かせるように、こう結ぶ。「聞く、話す、許す、なんだよ」と。
大久保さんは、スピーチの中で、「相手のもの指しで判断できるかどうかが、人間の成熟さの基準」とも言っていた。私の祖母は浅学であり、大久保さんの深さとは比べ様もないのだが、成熟度というなら、確かに、祖母は成熟していたのだと、改めて思う。(ああ、また、ジャッジメントしてしまった、、)
さて、還暦を幾年か超えた身ではあるが、家族や仕事仲間に対しても、今なお多くの煩悩を持ち、成熟しきれない自分に腹が立つことさえある。しかし、大久保さんや尾角さんのお話をお聞きし、そして、祖母の言葉を思い出しながら、この先、まだまだ煩悩に迷い続けるとしたら、今後は、自分自身に、こう言い聞かせるようにしようと、思い立った。
「 見返りを求めない、正しい悪いと判断をしない、そして、無条件で許し、すべてをの縁に感謝しよう」と。
祖母の口癖風に言い直すと、「いいかい、人に求めない、判断しない、許す、感謝する、なんだよ」。
平成24年2月
※本文でご紹介させていただいた講師のお話は、平成24年1月14日に開催された高野登さん主宰の「寺小屋百年塾、新春セミナー」をお聞きして、私なりに理解した内容を、要約させていただきました。従って、講師の方の本旨を正確にお伝えしていない心配がありますが、お許しのほど。